インドネシア、マルガ英雄墓地にてインドネシア独立戦争における戦没者の慰霊祭が行われた。
日本からは30名程の有志が集い、現日本国総領事の千葉広久氏をはじめ、
現地で暮らす日本人の方々や現地のインドネシア人など100名程での式典となりました。
その後、英雄墓地に桜の植樹もさせていただき、バリ島の父と言われる三浦譲翁に墓参させていただきました。
三浦譲翁の遺言
吾々は今まで絶えず諸君に日本精神を、武士道を、或いは犠牲的精神を説き、君国の為には喜んで死ぬ事、 インドネシア独立の基礎は諸君の犠牲の血であり骨であらねばならぬ事を強調してきた。
更に日本人の断言せる事は必ず断行するという事実を諸君の前に示すことは三年有半育成せられたる諸君の覚醒せる精神に更に一段の向上進歩を遂げしむる最後の教訓である事を私は信ずる者である。
今私は穢れたる肉体をかなぐり捨て清き正しき憐憫(れんびん)と感謝に満つる霊魂になりてバリ島に止まり吾が敬愛し親交せる百三十万同胞の繁栄と幸福とを永遠に祈り念ぜんとする者である。
諸君よ左様なら。
皇紀二千六百五年九月七日午前六時
バリ島百三十万兄弟諸君へ
三浦 襄
大東亜戦争中、日本軍はわずか10日でインドネシア全域を制圧し、330年続いたオランダの植民地支配を終結させました。
終戦までに日本軍はインドネシア人による軍隊の育成、法制度や教育体制の整備などを行いました。
日本の敗戦から2日後の昭和20年8月17日初代大統領スカルノが独立を宣言、ところが翌月に独立宣言を無視し、 オランダはイギリス軍とともにスラバヤに上陸、しかし日本軍に訓練された民衆軍に強襲されイギリスの師団が全滅させられます。
ここで旧日本軍も戦闘に参加し命を落とされました。
1963年になり、当時のインドネシア外相アブドルガニー氏は、「植民地主義と戦うには力が無いと勝てない。
つまり軍事能力、これを戦時中日本が与えてくれたお陰で我々は独立する事ができた」と述べています。
この度、インドネシアの方々から直接お話を聞かせていただき、日本に対して感謝や尊敬の言葉をいただきました。
本当にマルガ英雄墓地も美しく整備されており、現地の方々も11名の旧日本軍の英霊にいつも手を合わせてくださってる事も目の当たりにしました。
本当に日本人として、誇らしい先輩達の犠牲の上に日本の平和と幸福があることを強く感じました。
日本陸軍、上遠野勇吉憲兵曹長とカムリ青年の話も参照下さい。
日本陸軍、上遠野勇吉憲兵曹長とカムリ青年の話
日露戦争に勝利し、アジアの輝ける国として、同じアジアの人々に勇気と誇りを与えました。
330年の長きにわたりオランダの植民地となっていたインドネシアの人々もそうでした。
バリ島近くマドラ島出身のラデン・アブドル・カムリ青年も日本に憧れ、大東亜戦争における日本軍の進駐に際しては、志願して現地憲兵補に採用されました。
その後日本の軍人達とは「死なばもろとも」と誓い合う関係にまでなったといいます。
日本軍は勇猛果敢に戦い、オランダの300年以上にわたるインドネシア圧政を解放しました。
しかし日本の戦況は悪化し連合国の圧倒的物量の前に敗戦を余儀なくされる事になります。
敗戦後、カムリ青年は「どうしても日本に行きたい、日本に連れて帰ってほしい」と、兄と慕う上遠野曹長に直訴します。 しかし軍紀はそれを許しません。
上遠野曹長はカムリ青年に一軒の家と車を買い与え、昭和20年8月24日には別れの夕食を共にしました。
しかしカムリ青年は翌25日早朝、次のような遺書を残し拳銃で自決します。
「私は日本の勝利とインドネシアの独立、マドラ防衛の為、決死の覚悟で日本軍とともに戦ってきました。
日本軍のおかげでインドネシアはみずからの力を知る事ができました。インドネシアは必ず独立します。
私は日本軍の指導に対し全インドネシアの青年を代表し、血を捧げて御礼を申し上げます。
大日本帝国万歳、インドネシア独立万歳」
カムリ青年たった20年の生涯でした。
日本軍はその日の午後厳粛かつ盛大にカムリ青年の葬儀を執り行い、墓前には毎日、花を供えました。
8月28日、カムリ青年の墓前で上遠野曹長の遺体が発見されます。
カムリ青年と同じ拳銃自決でした。
鉛筆で走り書きされた遺書には、こう記されています。
「皆様、大変お世話になりました。 カムリが可哀想なので一緒にいきます。 死体はカムリのそばに埋めて下さい」
支配や搾取ではなく、東亜解放の悲願実現の為、 ともに戦った日本とインドネシアの友情は偉大な二人の先人とともに永遠であらしめたいと願います。
平成30年度2月11日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会皇紀2678年紀元節を祝し、奈良の橿原神宮に参拝。
その後四天王寺にて、故・吉田益三先生に墓参し、天王寺都ホテルにて国民同志会、日本青年協会の合同総会を行いました。
平成30年度1月27~29日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会沖縄糸満市の荒崎海岸にて、戦没者の遺骨収容を行いました。
全国から35名程の有志が集い、未開拓になっている場所に道を作り、今後の遺骨収容に繋ぐ作業となりました。
平成29年度12月22日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会大阪心斎橋にて納会をさせていただきました。
11月10日~15日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会タイ経由でミャンマーヤンゴンにある日本人墓地にて大東亜戦争・ビルマ方面の戦没者慰霊祭を、全国から約30名程の有志と共に行いました。
昭和17年初頭から昭和20年8月の終戦まで、およそ3年7カ月にわたり米国、英国をはじめとする連合軍と激しい戦闘が繰り広げられていました。
この戦いでは、ビルマ方面軍、第15、28、33軍合わせて、およそ33万の兵士が戦闘に従事し、約19万の兵士が尊い命を落とされています。
インパール作戦という過酷な行動では、その道に多くの兵士が倒れ、「白骨街道」と呼ばれる様になりました。そしていまだ祖国に帰る事のできない先人のご遺骨が5万柱以上残されたままの状況がここにあります。
遺骨収容や慰霊祭などを行ってきた有志の方々も高齢化が進んでいます。
我々もそれを引き継ぎ、また次の世代に繋いで行く役目も果たさなければと強く感じました。
平成29年度8月15日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会大阪から同志18名で、靖国神社に正式参拝させていただき、正午戦没者の英霊に黙祷を捧げました。
平成29年度8月14日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会東京青山霊園にて、遠山満翁に墓参、同地にて、あぁ無名列士の墓(平成27年度参照)の清掃奉仕活動を行いました。
その後、多磨霊園に移動し、内田良平翁、三島由紀夫列士に墓参させていただきました。
平成29年度8月13日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会大阪四天王寺にて、故・吉田益三総裁に墓参させていただきました。
平成29年度8月4~5日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会72年前の8月6日8時15分に広島に原爆が投下された。
この8月6日、鎮魂の日を前に、広島平和記念公園にある碑文(活動報告27年度参照)の改正、撤去を訴え、5日広島護国神社に参拝、国民儀礼を行い、街宣活動、デモ行進などを行いました。
平成29年度7月13~16日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会靖国神社みたま祭に献灯
平成29年度6月10~13日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会沖縄糸満市にて、戦没者遺骨収容の現地調査を行いました。
糸満市役所、平和記念公園の方々のご協力もあり、今後まだ手付かずになっている壕などからも、ご遺骨を収容し慰霊できればと思います。
平成29年度4月9~13日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会皇居、東宮御所にて、櫻奉仕団での勤労奉仕活動に参加しました。 天皇陛下御退位のお話もあり、今回は全国から300名を超える奉仕団が集まりました。
初日に皇太子殿下、2日目には天皇皇后両陛下からの御会釈を賜り、感慨無量の5日間になりました。
ご奉仕を終え、靖国神社にご報告を兼ね参拝させていただきました。
平成29年度3月11~12日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会三重県伊勢神宮にて、神宮参拝禊会が行われた。
全国から130名程の有志が集結し、故・中村武彦先生、昨年お亡くなりになられた故・大野康孝宮司の遺訓を継承し、11日伊雑宮(イザワノミヤ)、伊勢神宮外宮、倭姫宮(ヤマトヒメノミヤ)に正式参拝させていただきました。
12日早朝5時に気温氷点下、水温一度の中、五十鈴川にて禊が執り行われた。
禊完了後、伊勢神宮内宮に正式参拝させていただき、神楽を奉納し、水、風、などの別宮に参拝させていただき、神宮会館にて直会が行われ、無事に完遂する事ができました。
平成29年度2月11日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会皇紀2677年の紀元節を祝し橿原神宮に参拝、四天王寺に移動し、故・吉田益三先生に墓参しました。
その後、天王寺都ホテルにて国民同志会、日本青年協会の合同総会を行いました。
平成29年度1月28~30日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会沖縄糸満市にて戦没者の遺骨収容を行いました。
今回は全国から40名程の有志が集い、未開拓地での収容活動になりました。
未開拓地という事で、道を作る作業から始めた事もあり、 収容できたご遺骨は少なかったですが、その場にて慰霊させていただき、 今後の収容活動に繋げる事ができました。
平成28年度12月16日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会大阪心斎橋の七色にて国民同志会、日本青年協会の納会を行いました。
平成28年度11月5~9日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会インドネシア、マルガ英雄墓地にてインドネシア独立戦争における戦没者の慰霊祭が行われた。
日本からは30名程の有志が集い、現日本国総領事の千葉広久氏をはじめ、
現地で暮らす日本人の方々や現地のインドネシア人など100名程での式典となりました。
その後、英雄墓地に桜の植樹もさせていただき、バリ島の父と言われる三浦譲翁に墓参させていただきました。
三浦譲翁の遺言
吾々は今まで絶えず諸君に日本精神を、武士道を、或いは犠牲的精神を説き、君国の為には喜んで死ぬ事、 インドネシア独立の基礎は諸君の犠牲の血であり骨であらねばならぬ事を強調してきた。
更に日本人の断言せる事は必ず断行するという事実を諸君の前に示すことは三年有半育成せられたる諸君の覚醒せる精神に更に一段の向上進歩を遂げしむる最後の教訓である事を私は信ずる者である。
今私は穢れたる肉体をかなぐり捨て清き正しき憐憫(れんびん)と感謝に満つる霊魂になりてバリ島に止まり吾が敬愛し親交せる百三十万同胞の繁栄と幸福とを永遠に祈り念ぜんとする者である。
諸君よ左様なら。
皇紀二千六百五年九月七日午前六時
バリ島百三十万兄弟諸君へ
三浦 襄
大東亜戦争中、日本軍はわずか10日でインドネシア全域を制圧し、330年続いたオランダの植民地支配を終結させました。
終戦までに日本軍はインドネシア人による軍隊の育成、法制度や教育体制の整備などを行いました。
日本の敗戦から2日後の昭和20年8月17日初代大統領スカルノが独立を宣言、ところが翌月に独立宣言を無視し、 オランダはイギリス軍とともにスラバヤに上陸、しかし日本軍に訓練された民衆軍に強襲されイギリスの師団が全滅させられます。
ここで旧日本軍も戦闘に参加し命を落とされました。
1963年になり、当時のインドネシア外相アブドルガニー氏は、「植民地主義と戦うには力が無いと勝てない。
つまり軍事能力、これを戦時中日本が与えてくれたお陰で我々は独立する事ができた」と述べています。
この度、インドネシアの方々から直接お話を聞かせていただき、日本に対して感謝や尊敬の言葉をいただきました。
本当にマルガ英雄墓地も美しく整備されており、現地の方々も11名の旧日本軍の英霊にいつも手を合わせてくださってる事も目の当たりにしました。
本当に日本人として、誇らしい先輩達の犠牲の上に日本の平和と幸福があることを強く感じました。
日本陸軍、上遠野勇吉憲兵曹長とカムリ青年の話も参照下さい。
日本陸軍、上遠野勇吉憲兵曹長とカムリ青年の話
日露戦争に勝利し、アジアの輝ける国として、同じアジアの人々に勇気と誇りを与えました。
330年の長きにわたりオランダの植民地となっていたインドネシアの人々もそうでした。
バリ島近くマドラ島出身のラデン・アブドル・カムリ青年も日本に憧れ、大東亜戦争における日本軍の進駐に際しては、志願して現地憲兵補に採用されました。
その後日本の軍人達とは「死なばもろとも」と誓い合う関係にまでなったといいます。
日本軍は勇猛果敢に戦い、オランダの300年以上にわたるインドネシア圧政を解放しました。
しかし日本の戦況は悪化し連合国の圧倒的物量の前に敗戦を余儀なくされる事になります。
敗戦後、カムリ青年は「どうしても日本に行きたい、日本に連れて帰ってほしい」と、兄と慕う上遠野曹長に直訴します。 しかし軍紀はそれを許しません。
上遠野曹長はカムリ青年に一軒の家と車を買い与え、昭和20年8月24日には別れの夕食を共にしました。
しかしカムリ青年は翌25日早朝、次のような遺書を残し拳銃で自決します。
「私は日本の勝利とインドネシアの独立、マドラ防衛の為、決死の覚悟で日本軍とともに戦ってきました。
日本軍のおかげでインドネシアはみずからの力を知る事ができました。インドネシアは必ず独立します。
私は日本軍の指導に対し全インドネシアの青年を代表し、血を捧げて御礼を申し上げます。
大日本帝国万歳、インドネシア独立万歳」
カムリ青年たった20年の生涯でした。
日本軍はその日の午後厳粛かつ盛大にカムリ青年の葬儀を執り行い、墓前には毎日、花を供えました。
8月28日、カムリ青年の墓前で上遠野曹長の遺体が発見されます。
カムリ青年と同じ拳銃自決でした。
鉛筆で走り書きされた遺書には、こう記されています。
「皆様、大変お世話になりました。 カムリが可哀想なので一緒にいきます。 死体はカムリのそばに埋めて下さい」
支配や搾取ではなく、東亜解放の悲願実現の為、 ともに戦った日本とインドネシアの友情は偉大な二人の先人とともに永遠であらしめたいと願います。
平成28年度10月23日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会大阪護国神社にて、日本人の心を伝える会の工藤氏をはじめ、香川本部長、大川氏が特攻勇士慰霊祭に参加させていただきました。
平成28年度8月15日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会靖国神社にて正式参拝、正午に戦没者の英霊に黙祷を捧げました。
前日からの4名に加え、同志の安部、川添、高井良、鎌田、西川、山下、辻、久保、中平など19名にて参拝させていただきました。
平成28年度8月13~14日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会13日、大阪四天王寺にて、山路青年局長、長谷川両名で(故)吉田益三総裁に墓参させていただきました。
14日、同志の深津賢一、梅田勇と共に東京に移動し、青山霊園にて頭山満翁に墓参、その後、鳴呼無名烈士の墓(平成27年度活動報告参照)の清掃奉仕活動をさせていただきました。
多摩霊園にて、内田良平翁、三島由紀夫烈士に墓参した後、千鳥ヶ淵墓苑に参拝させていただきました。
平成28年度8月5~6日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会71年前の8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下された。その年のうちに14万人が亡くなり、被爆後5年以内に原爆死没者20万人に増加した。これは紛れもなく史上最悪の大虐殺といえるであろう。今年5月、米国の現職大統領であるバラクオバマが、戦後初めて献花を行った。未だに苦しむ多くの被爆者の方や被爆者のご家族、ご遺族の事を考えると、解決には程遠いが、未来に向けた歴史的な一歩となった事は間違いない。
我々は昨年同様、広島護国神社に参拝、国民儀礼を執り行い、平和記念公園にて献花をさせていただきました。その後、全国の有志の方々と、原爆死没者慰霊碑の碑文の撤去、改正(平成27年度参照)を求め、街宣活動、デモ行進、街頭演説などを行いました。
平成28年度7月13日~16日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会靖国神社みたま祭に献灯
平成28年度4月2日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会福岡県KKRホテル博多にて、芳香会(代表吉村弘美)主催の元玄洋社記念館館長、浅野秀夫先生の「末永節遺稿集 無庵放談」出版を祝う会に、奥見代表をはじめ、嘉野文広、大内田将則総務、香川本部長、山路青年局長の5名で参加させていただきました。
平成28年度2月15日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会沖縄県の護国神社に正式参拝させていただきました。
平成28年度2月14日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会沖縄県糸満市、喜屋武(キャン)にて、戦没者の遺骨収容活動を行いました。
青年局から山路局長、長谷川、全国から33名の有志と共に行動させていただきました。
今年は青年局でも、ご遺骨や遺留品、九九式歩兵銃など色々な物を数多く発見する事ができました。
ご遺骨収容後に有志一同で黙祷を捧げ、夜には直会を行いました。
平成28年度2月11日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会皇紀2676年の紀元節、橿原神宮に参拝。その後四天王寺に移動し、故・吉田益三先生にご報告を兼ねて墓参しました。
天王寺都ホテルにて、国民同志会、日本青年協会の合同総会を行い、国民儀礼、奥見代表から総括のお言葉をいただき、前年度の活動報告や今期の活動計画、杉本書記長の講義の後、同会場にて直会を行いました。
日本青年協会、香川会長から締めのご挨拶にて合同総会を無事終了いたしました。
平成27年度12月26日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会心斎橋七色にて国民同志会、日本青年協会の納会を行いました。
奥見代表会長から本年の総括と、今後の活動についてのお話をいただき、皇紀2675年という節目の納会をさせていただきました。
平成27年度11月22日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会ザ・シンフォニーホールにてフィルハーモニー合唱団による戦後70年、海行かばを作曲した、信時潔没後50年という節目で、北原白秋作詞、信時潔作曲、神話を通し日本の成り立ちを綴った[海道東征]公演を[知と精神の錬成]と題して、奥見代表をはじめ8名で参加させていただきました。
平成27年度11月9日~13日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会タイ北部ミャンマー国境近くメーソート群の山奥にて、カレン民族独立の為に戦った西川孝之命、今井力命、岩井和郎命の3名の日本人兵士の慰霊祭が行われた。
全国から神主を含む25名程の有志が参加した。
自由戦士之碑と称された碑には[カレン民族独立を支援、小数民族の人間としての威厳の為、青春の情熱と命を捧げた日本自由戦士ここに眠る]とある。
バンコクからメーソートまで飛行機に乗り、空港から山の中を1時間程車で走る、普段は人も通らない、ましてや日本人など訪れる事は皆無だという。
日々の供養などを近くの寺院にお願いをしまして、慰霊祭を滞りなく終える事ができました。
平成27年度8月15日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会靖国神社にて正式参拝、正午に英霊に黙祷を捧げ、戦後70年という節目の年という事もあり、例年より多くの国民が集まっていました。
昨日からの3名と同志、安部紳一郎、川添匠、鎌田哲郎、西川義人、山下和成、久保竜次、梅田勇、中平恭央の11名での参拝となりました。
平成27年度8月14日
/カテゴリ: 活動報告 /作成者: 国民同志会東京の多磨霊園にて、内田良平翁、三島由紀夫烈士に墓参した後、青山霊園に移動して、頭山満翁に墓参、その後民族革新会議の秋山一成氏など有志の方々の協力があり、大正13年に自決した「嗚呼 無名烈士の墓」の清掃活動を青年局から山路、長谷川、同志の高井良一輝の3名でさせていただきました。
「嗚呼無名烈士の墓」とは
大正13年5月31日赤坂米国大使館隣接地にて、排日移民法に抗議し、短刀で自らの命を断った烈士がいた。 米国政府、同国民に猛省を求めるその遺書の最後には、自らを無名の一民とだけ記していた。この義挙は日本国民の心を打ち対米抗議は国民運動へと発展していく。 当時、意気に感じた頭山満翁や内田良平氏が、呼びかけ人となり、三万人もの国民が集い無名烈士の大法要が行われた。