吉田益三
1895年(明治28年)8月21日 ~ 1967年(昭和42年)2月11日
1931年(昭和6年)11月20日、頭山満 翁・内田良平 翁等の賛同を得て
大阪中央公会堂において大日本生産党が結成された。
昭和31年「国民同志会」を結成。
1895年(明治28年)8月21日 ~ 1967年(昭和42年)2月11日
1931年(昭和6年)11月20日、頭山満 翁・内田良平 翁等の賛同を得て
大阪中央公会堂において大日本生産党が結成された。
昭和31年「国民同志会」を結成。
昭和のはじめ、大阪は八聯隊に程遠からぬ岡山町の一角に「黒龍会関西支部」の墨痕鮮やかな大看板をかかげ、屈強なサムライ達が毎日のように天下国家を論じて青年の客気を散じていた屋敷があった。
対外的には第一次世界大戦後暫しの平和が次第に国際緊張非常時体制の渦に巻き込まれ、国内的には政党政治の乱脈が思想的な対立混乱に拍車を加えようとする世相を背景にして、彼らサムライはその屋敷を支部と呼んで頻繁に往来し、玄洋社の先人を語り天佑俠の同志偲んでは、感奮興起落涙滂沱、恰かも梁山泊の観を呈していたのである。
かかる時代の黒龍会関西支部長が、いみじくも現国民同志会総裁吉田益三であったことは右翼運動や浪人道の歴史を論ずるものにとって、記憶されていい事柄である。
彼が、その後大日本生産党の創立に当って、初代総裁内田良平先生を補佐して尽瘁し、内田総裁の死後選ばれて第二代総裁に就任、大東亜戦争勃発後は大日本一新会に改組して、広汎な国民運動を展開したのは周知の事実である。
爾後、敗戦による公職追放、沈潜、雌伏、蹶起の過程を経て国民同志会の現状に連なる経緯については本書本文に明かなので詳述を避けるが、戦後二十年に垂んとして未だに自主外外交の確立もならず、マッカーサー憲法の改正も実現し得ず、青少年の非行横行して、反省を知らない平和に倦んだ世情人心は、正に日本及び日本人の愚かしい精神的側面を如実に反映していると見て差し支えない。政財界教育界一般庶民を通じて心あるものは決して尠くない筈であるのに、近時の憂うべき風潮を招来した要因はどこにあるのか。
われわれは日本のいのちを愛する心がわれわれのみにあって一般人士にない等という思い上がった考えは毛頭持っていない。われわれ自身かって迷いがなかったともいわない。ただわれわれは、民主化の俗流に媚びるほど愚かではない故に、敢てこの時代に喪失されつつある、節義と、祖国のいのちを惜しむ心、日本人の郷愁を呼び腥し呼び返す為に、構想し実践する。いうならば日本人すべての心にひそんでいる国のいのちを愛する心を、実践の形をとって代弁し代行するのである。
考えてはいても実行出来ない一般常識人の躊躇に危機を感ずるが故にわれわれはためらひを捨てて行動する。
事の成否を問わず実行する吾等に対して、大方の御理解と御指導とを切にし希望するものであります。
history
一月 | 恩給復活促進連盟結成準備 |
五月十日 | 吉田益三氏追放解除に伴い声明を発す |
六月五日 | 暴力国会、教育問題に関し声明 |
六月二十一日 | 思給復活促進連盟結成さる |
八月 | 大日本戦友会結成さる |
十一月 | 吉田会長「浪人道」を発刊 |
十二月七日 | 住吉支部結成式挙行 |
十二月八日 | 防衛新日本新聞発刊 |
十月十日 | 吹田支部結成式 |
十一月 | 吉田会長「国民会議要綱案を発表」 |
十月十日 | 紀元節復活運動開始 |
七月九日 | 対ソ問題緊急幹部会聞く |
十一月十七日 | 時局打開緊急幹部大会聞く |
二月十一日 | 紀元節奉祝大会並に重大時局打破幹部大会開く |
七月九日 | 対ソ問題緊急幹部会聞く |
三月十六日 | 防衛庁長官人事に関し政府に建白 |
三月十九日 | 石川県支部結成式挙行 |
五月二十七日 | 日本海々戦五十周記念大会行事を行う |
八月七日 | 東京渋谷支部結成式挙行 |
八月二十六日 | 埼玉県宥槻支部結成式挙行 |
十月一日 | 戦友会陣容強化さる |
十月二十七日 | 全国最高幹部会を開催 |
十月二十八日 | 東京中野支部結成式挙行 |
十二月十日 | 対韓方針決議を発表す |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会を開催す |
四月 | 総評の春季斗争粉砕のため激ビラを散布す |
五月 | 対ソ要求三原則貫徹ビラ散布 |
五月二十五日 | 吉田会長有志と日ソ交渉に関する第一次声明を発表 |
六月五日 | 愛媛県三島支部結成式挙行 |
六月九日 | 官界の綱紀粛正に関し政府に要求書を手交 |
七月八日 | 吉田会長有志と沖縄問題に関する声明を発表 |
八月八日 | 重光日ソ交渉全権に打電 |
八月十一日 | 同 |
八月二十二日 | 暴ソ腐懲国民大会並演説会 |
八月二十五日 | 土浦支部結成式挙行 |
十月一日 | 大日本戦友会、国民同志会と改称し、声明、主義、綱領、政策を発表す |
十一月十日 | 国民同志会第一回全国代表者会議を開催す |
十二月 | 石橋自民党総裁に要請書 |
二月一日 | 日教組打倒パンフレット第一輯出版 |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会挙行 |
三月九日 | 春斗私鉄ストに勧告を行う |
三月二十九日 | 官会吏澄職共同責任弁済要望許送達 |
五月一日 | 世界解放平和宣言発表 |
五月十八日 | 第二回全国代表者会議開催(大阪中央公会堂) |
汚職糾弾・時局大演説会開催(大阪中央公会堂) | |
五月十九日 | 汚職糾弾・時局大演説会開催(大阪天王寺音楽堂〉 |
六月十日 | 関西地区幹部会開催 |
七月四日 | 大教組に勧告書手交 |
七月五日 | 大教組の座り込み排除 |
八月三十日 | 道徳教育実施について松永文相に要請書手交 |
九月四日 | 浴場汚職事件で大阪府会糾弾に起つ |
九月九日 | 藤山外相に進言書手交 |
九月十二日 | 大阪府会議場でビラ散布 |
九月二十一日 | 組織拡大について指令第二号 |
浴場汚織議員に辞職勧告 | |
九月二十六日 | 内田良平先生二十周年祭執行(東京共済会館) |
十月七日 | 大阪府会糾弾声明第二次発表 |
一月二十四日 | 日韓交渉で要望書手交 |
二月二日 | 青年隊紀元節復活街頭署名(大阪阿倍野橋) |
二月四日 | 幹部会開催(大阪税理士会館) |
二月九日 | 青年隊紀元節復活街頭署名(大阪阿倍野橋) |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会開催 |
四月一日 | 青年隊街頭演説(大阪阿倍野橋) |
四月十二日 | スト排撃・日教組打倒大演説会開催(大阪天王寺音楽堂) |
五月一日 | 総裁制採用さる |
五月五日 | 日教組打倒パンフレット第二輯出版 |
六月十日 | 第二次岸内閣に要詰書 |
六月二十八日 | 関西地方代表者会議開催 |
七月二十一日 | 日教組打倒ビラ散布 |
七月二十二日 | 青年隊長野県戸倉上山田屯所宣誓式挙行 |
七月二十六日 | 青年隊大阪北屯所宣誓式挙行 |
八月十四日 | 龍鼎随筆集出版 |
八月十五日 | 常任総務会開催 |
八月十六日 | 日教組打倒国民大会開催(大阪天王寺音楽堂) |
九月一日~十日 | 青年隊機動隊第一陣関東地方遊説 |
九月十八日~二十三日 | 青年隊機動隊長野県地方遊説を行う |
九月二十日 | 長野県小諸支部結成式挙行 |
九月二十四日 | 佐井寺支部主催戦没者慰霊祭執行(西方寺) |
十月一日 | 日教組々合員の組合費不払運動を提唱 |
十月十五日 | 福知山支部結成式挙行(福知山御霊神社) |
十月 | 全学連デモ取締について声明発表 |
十二月十四日 | 三曜会(全関西愛国青年有志懇談会)発足 |
一月十五日 | 幹部会開催 |
一月二十五日 | 皇居開放反対声明発表 |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会挙行 |
二月十四日 | 在日朝鮮人北鮮送還について要望書送達 |
四月十日 | 皇太子御成賂を祝して青年隊一柏原神宮参拝 |
六月六日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
六月九日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
六月十三日 | 青年隊街副演説(大阪上六) |
六月二十二日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
六月二十七日 | 緊急幹部会開催 |
六月二十八日 | 和泉支部結成式挙行 |
七月十日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
七月二十日~二十七日 | 李承晩大統領の反日政策にし大韓民国駐日代表部に抗議 |
七月二十八日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
七月三十一日 | 青年隊街頭演説(大阪上六) |
八月一日 | 円韓会談その他につき声明 |
八月四日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
八月十日 | 青年隊街頭演説(布施) |
八月二十一日 | 青年隊街頭演説(吹田) |
八月二十三日 | 青年隊街頭演説(布施) |
八月二十八日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月三十一日 | 青年隊街頭演説(大阪上六) |
九月二日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
九月四日 | 青年隊街頭演説(大阪針中野) |
九月五日 | 青年隊街頭演説(大阪阿部野橋) |
九月七日 | 安保改定促進・日教組打倒国民大会開催(大阪天王寺音楽堂) |
十月十三日~二十六日 | 青年隊関東地区遊説 |
十月二十三日 | 安保改定促進・日教組打倒国民大会開催(東京高円寺会館) |
十二月六日 | 三曜会一周年大会開催 |
十二月十三日 | 船生利重氏国民同志会葬執行(東京長泉寺) |
十二月二十三日 | 在阪幹部会開催 |
一月二十九日 | ソ連党書に対し声明発表 |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会開催 |
三月 | ソ連党書で全国に新聞折入み |
三月八日 | 石橋湛山糾弾に起つ |
三月十四日 | 青年隊石橋湛山糾弾に上京 |
三月十五日 | 石橋湛山謝る |
四月八日 | 報道暴力に一言す発表 |
四月十二日~十三日 | 青年隊機動隊福知山地方遊説 |
四月十九日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
四月二十二日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
四月二十六日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
五月十三日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
五月二十一日 | 国会空白について要請書 |
六月三日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
六月十五日 | 安保批准促進で東京都内ビラ散布 |
六月十七日 | 安保批准促進で東京都内ビラ散布 |
六月二十二日 | 浪速交通支部結成式挙行 |
七月二日 | 全国代表者会議開催(大阪中央公会堂) |
重大時局打開大演説会開催(大阪天王寺音楽堂) | |
八月四日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月六日 | 東京・大阪両都市で日教組打倒ピラ散布 |
八月九日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月十一日 | 青年隊街頭演説(大阪平野) |
八月十五日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月二十六日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月二十八日 | 日教組打倒大演説会開催(大阪天王寺音楽堂) |
九月一日 | 大阪府立旭高校正常化に起つ |
九月十七日~二十一日 | 青年隊機動隊福知山地方、兵庫県地方遊説 |
十月三十日 | 大阪府会議長選で声明発表 |
十二月一日 | 常任総務公開 |
十二月三日 | 在阪幹部会開催 |
十二月十一日 | 三曜会第二周年大会開催 |
十二月十五日 | 在京幹部会開催 |
二月十日 | 総本部代表幹部会開催 |
二月十一日 | 紀元節奉祝凪民式典挙行 |
二月十五日 | 日教組幹部集団社会党入党問題で荒木文相に要望者手交 |
二月十六日 | 大阪府・市教委に日教組幹部社会党入党で要望書手交 |
二月二十四日 | 吾人はかく主張する発表 |
三月四日 | 小説「御璽」で青年隊岐阜に出勤 |
三月六日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
三月二十五日 | 三河支部準備会結成 |
三月二十七日 | 公労協ストで首相他に打電 |
四月七日 | 青年隊街頭演此(大阪天六) |
四月十三日 | 政治局会議開催 |
四月十五日 | 池田総理に深沢七郎告訴を要請 |
四月二十日 | 憲法問題でアンケート発送 |
四月二十日 | 憲法問題でアンケート発送 |
四月二十五日 | 深沢七郎告訴を池田総理に再要討 |
四月二十七日 | 青年隊街頭演説(布施) |
五月二十六日 | 三河支部結成式挙行(豊橋吉田神社) |
六月十日 | 総本部幹部会開催 |
六月十二日 | 右翼の言い分出版 |
七月一日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
七月七日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
七月十四日 | 青年隊街頭演説(大阪小坂) |
七月二十一日 | 憲法問題に関する世論調査報告書発表 |
七月二十一日~二十五日 | 青年隊機動隊関東地区、三河地区遊説 |
八月一日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月七日 | 除隊自衛隊員救援のため声明を発表 |
八月十二日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月十五日 | 青年隊街頭演説(大阪野田阪神) |
八月二十一日 | 常任総務会開催 |
八月二十三日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
八月二十九日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
八月三十一日 | 青年隊街頭演説(大阪野田阪神) |
九月二日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
九月八日 | ソ連核実験開始に当り糾弾声明を発表 |
九月十日 | 在京幹部会開催 |
九月十一日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
九月十二日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
九月二十日 | 在阪幹部会開催 |
九月二十二日 | 青年隊街頭演説(大阪天六) |
九月二十八日 | 青年隊智頭演説(大阪天王寺公園) |
九月二十九日 | 書記局会議開催 |
十月一日 | 書記局会議開催 |
十月七日~八日 | 青年隊福知山地方遊説 |
十月十日 | 青年隊街頭演説(布施) |
十月十二日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
十月十三日 | 常任総務会開催 |
十月二十二日 | 書記局会議開催 |
十月二十三日 | 故内田良平先生二十五年祭並黒龍会関係物故者慰霊祭執行 |
(東京共済会館)黒龍倶楽部結成さる | |
十月二十四日 | 全国代表幹部会開催(東京赤坂公会堂) |
十一月二十二日 | 太田山石穂氏常任総務就任 |
十一月二十六日 | 三曜会三周年大会開催 |
十一月二十七日 | 小林秀信氏常任総務就任 |
十二月十四日 | 佐井寺主催戦没者慰霊祭執行(佐井寺西宝寺) |
和泉支部主催物故者慰霊祭執行(八坂町西教寺) | |
十二月十五日 | 三無事件で勧告書手交 |
十二月十八日 | 常任総務会開催 |
一月八日 | 尼ケ崎城内高校正常化運動に起つ |
一月十二日 | 尼ケ崎市内に城内高校問題でビラ散布 |
一月十九日 | 常任総務会開催 |
一月二十日 | 東西合同幹部会開催 |
一月三十一日 | 日韓会談に関し池田首相、小坂外務大臣、杉日韓会談首席代表に建白書提出 |
二月五日 | 石橋湛山に質問状送達 |
二月九日 | 石橋湛山に返蓄を寄せる |
二月十日 | 社会党の日中共同声明に対する反駁声明発表 |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会開催 |
二月二十一日 | アメリカの宇宙飛行成功についてケネディ大統領に祝電を打つ |
三月八日 | 日韓会談再聞に当って杉代表、池田首相、小坂外相に打電 |
三月十四日 | 黒龍倶楽部関西地区懇親会開催 |
四月六日 | 常任総務会開催 |
四月七日 | 全愛会議第四回全国大会開催さる |
四月十四日 | 私鉄スト中止を労使双方に勧告 |
四月二十八日 | 時局批判大演説会開催(大阪天王寺音楽堂) |
五月四日~十一日 | 青年隊機動隊関東地区三河地区遊説 |
六月十一日 | 幹部懇談会開催 |
七月二十一日 | 常任総務会開催 |
七月二十八日 | 東西合同幹部会開催訪ソ視察団の反省を促す声明発表 |
八月十六日 | 日韓問題に関する声明発表 |
八月十八日 | 藤本清君国民同志会関西本部葬執行(大阪四天王寺本坊) |
八月二十三日 | 日韓会談で池田総理、大平外相、杉代表に要請書手交 |
九月十一日~十七日 | 青年隊機動隊福知山地方、石川、富山県下遊説 |
十月十四日~十九日 | 青年隊機動隊関東地区遊説 |
十月二十六日~ 二十九日 | 青年隊機動隊三河、三重県地区遊説 |
十一月六日 | 枚岡支部準備会結成特選米制度の実施について重政良相に立凡占提出 |
十一月十日 | 青年隊三重県下遊説 |
十一月十一日 | 三百県支部結成式挙行(四日市市烏出神社) |
十一月十五日 | 国民同志会の栞発表 |
十一月十八日 | 三曜会四周年大会開催 |
十一月二十五日 | 枚岡支部並に枚岡屯所結成式挙行(大阪枚岡神社) |
十二月六日 | 常任総務会開催 |
十二月九日 | 東西合同幹部会開催 |
一月二十九日 | 地方統一選挙で指令 |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会開催大阪市内奉祝ビラ散布 |
二月二十八日 | 天満支部準備会結成 |
三月八日 | 常任総務会開催 |
三月十七日 | 天満支部並びK青年隊天満屯所結成式挙行(大阪天満宮) |
三月二十五日~二十九日 | 青年隊機動隊三河、三重県地方遊説 |
五月二十八日 | 福岡支部準備会結成 |
五月二十九日 | 熊本城南支部準備会結成 |
六月七日 | 戦没者追悼式に閲し日本社会党に公開質問状発送 |
六月十六日 | 京都支部結成式を挙行(京都御香宮) |
六月十八日 | 戦没者追悼式公開質問状に日本社会党より回答くる |
六月二十日 | 青年隊街頭演説(大阪天王寺公園) |
七月十一日 | 千葉友次郎氏本部常勤となる |
八月一日 | 東京松楽会は明治神宮奉仕十周年を期し傘下団体となる |
八月六日~十日 | 青年隊機動隊三河、三重県地方遊説 |
八月十日 | 青年隊会合開催 |
八月二十一日 | 右翼憤激の真相・政宮財界粛正総決起大演説会開催(大阪天王寺音楽堂) |
九月六日 | 教育問頭に閲する建白書を池田首相に提出 |
九月二十四日 | 佐井寺支部主催戦没者慰韮祭執行さる(佐井寺西宝寺) |
十月三日 | 最高幹部会開催 |
十月十九日 | 福岡支部結成式挙行(福岡住吉神社) |
十月二十日 | 呉支部準備会結成、世界平和宣言草案なる |
十月二十六日 | 黒龍倶楽部総会開催(東京靖国会館) |
十一月三日 | 三重県菰野支部結成式挙行(三重県議野町民営会館) |
十一月十日 | 生野義挙百年祭執行さる(富沢教政治局員後援、兵庫県生野、朝来両町主催) |
十一月二十日 | 名古屋教育委員会に抗議 |
十一月二十三日 | 三曜会第五回大会開催 |
十二月十八日 | 全逓斗争で労使双方に抗議大阪証券取引所争議で抗議 |
十二月二十一日 | 全逓斗争で労使双方に再抗議 |
十二月二十四日 | 別城追一氏常任顧問に就任 |
一月十二日 | 最高幹部会開催 |
一月十六日 | 池田首相え意見書送達 |
一月二十日 | 国会に紀元節復活を要請東京都内紀元節復活ビラ散布 |
一月二十一日 | 東京都内紀元節復活ビラ散布 |
一月三十日 | 東京都内紀元復活ビラ散布 |
二月三日 | 大阪市内紀元奉祝ビラ散布 |
二月十日 | 大阪市内、福岡市内、広島市、呉市内紀元節奉祝ビラ散布 |
二月十一日 | 紀元節奉祝国民大会開催 |
二月十五日 | 全国代表者会議打合せ会議 |
三月一日 | 三重県桑名支部結成式挙行(桑名市春日神社) |
Biography
大正十三年十二月七日 | 黒絡会関西支部を設置するに当り、吉田益三その支部長に就任。 |
昭和二年二月 | 旬刊「報国新聞」を発行。 |
昭和二年十一月五日 | 義正義塾校舎竣工し、内田黒龍会主幹が塾長として開校式を挙行。吉田益三氏塾監として若人の育成に尽力す。 |
昭和四年九月 | 株式会社日刊大阪経済新聞社々長に就任。 |
昭和五年六月六日 | 内田良平先生来阪、吉田益三、立花良介、岸本重任氏等と大日本生産党結党準備事項に関する各積打合せを行う。 |
昭和五年六月十三日 | 大阪北区堂ビル市交社に於て「大日本生産党創立準備相談会」を開催。席上吉田益三氏の開会の辞についで内田良平先生から党創立の趣旨並に主義、政綱、政策等の説明あり。 |
昭和五年七月五日 | 大阪中央公会堂に於て「大日本生産党創立準備会発起人大会」を開催。 |
昭和五年七月二十日 | 東京泉龍会本部に於て、大日本生産党結党準備打合せ会を聞く。 |
昭和六年五月二十四日 | 「大日本生産党結党式第一次準備委員会」を大阪中央公会堂に於て開催。 常務委民代表として吉田益三氏を推薦。 |
昭和六年六月二十八日 | 大日本生産党結党式。大阪中央公会堂に於て盛大に挙行され、引続き第一回演説会を開催。 |
○顧問 頭山 満 ○総裁 内田 良平 |
|
昭和六年六月三十日 | 吉田益三氏の名によって大阪船場警察署へ結党届書を提出。 |
昭和六年九月七日 | 黒竜会自由倶楽部内に東京本部を置き、組織連絡の運動を開始。 |
昭和六年十一月十七日 | 東京赤坂三会堂に於て「第一回党大会準備委員会」を開催。 |
△出席者 ・・・ | 内田総裁、葛生能久、小幡虎太郎、吉田益三、池田弘、小山田剣南、八幡博堂、鈴木善一、堂前孫三郎他全国各地の同志多数 |
昭和六年十一月二十日 | 東京赤坂三会堂に於て、大日本生産党第一回全国大会を挙行。 |
○大会役割 | |
・顧問 | 頭山 満 |
・総裁 | 内田 良平 |
・議長 | 葛生 能久 |
・副議長 | 吉田 益三 |
・司会者 | 池田弘 |
・大会書記長 | 八幡博堂 |
書記 | 鈴木善一、片岡駿、飯塚豊一、※※山本日号彦、大助三郎 |
統制部 | 松田頑輔、小幡虎太郎、小山田淑助、佐々木保次郎、林逸郎、塩谷慶一郎、堂前孫三郎、坂井六輔 |
・庶務主任 | 鈴木善一 |
・交渉係主任 | 斉地磐夫 |
・進行係主任 | 池谷源一 |
・会計主任 | 知野秀次 |
昭和六年十一月二十四日 | 関東本部を移転。 |
昭和六年十一月三十日 | 関東、関西両本部役員決定 |
○役員 | |
関東本部 | |
・常任委員長 | 羽生能久 |
・常任委員 ・・・ | 池田弘、池谷源一、林逸郎、知野秀次、小橋虎太郎、小山田剣雨、尾形栄造、奥戸足百、八幡博堂、松田頑輔、香渡信、佐々木保次郎、斉地磐夫、坂井六輔、鈴木善一 |
・理事 ・・・ | 池田弘、八幡博堂、斉地磐夫、坂井六輔、鈴木善一 |
・書記局 ・・・ | 鈴木善一、片岡駿、奥戸足百、川崎清司、千葉直太郎 |
・会計 ・・・ | 知野秀次 |
・委員 ・・・ | 多数 |
関西本部 | |
・常任委員長 | 吉田 益三 |
・常任委員 ・・・ | 立花良介、岸本重任、小田末造、別城遺一、三木重次郎、和田弥一、字田貫一郎、堂前孫三郎、岩瀬幸三郎、※※岡甫、瀬戸保太郎 |
・総務部(兼会計) ・・・ | 大山三郎、飯塚豊一、徳田宗一郎 |
・書記局 ・・・ | 飯塚豊一、田川位吾、上野虎雄、以下略 |
昭和七年一月九日 | 大日本生産党栃木県支部員等、栃木県阿久津村に於て、全国労農大衆党員と対立、衝突の結果死者四名、重傷者十名を出す。 |
尚二月二十六日宇都宮公会堂に於て、内田総裁以下列席して殉党四士の壮厳なる党葬を執行。 | |
昭和七年二月 | 吉田益三氏大阪第三区より衆議院議員選挙員立候補し惜敗す。 |
昭和七年三月八日 | 血盟国事件の余波を受け、当局の弾圧急を極め東京都下における演説会は弁士全員中止を命ぜられ且つ党員三十余名を不法拘禁す。 |
昭和七年三月十四日 | 前記の弾圧に関し、声明書を発し当局に厳重に抗議す。 |
昭和七年五月十八日 | 五・一五事件に関し声明書を発す。 |
昭和七年十月十三日 | 関東本部常任委員長に池田弘氏執任。 |
昭和八年二月十一日 | 東京、大阪を中心に建国祭を盛大に挙行。 |
昭和八年四月二十九日 | 大阪中之島公固に於て愛国勤労祭を挙行、天王寺公固まで大行進を行う。 |
総指揮 | ・吉田益三氏 |
第一部隊長 | ・大矢省三氏 |
第二部隊長 | ・徳田宗一郎氏 |
昭和八年七月十一日 | 神兵隊事件。生産党員ら五十七名検挙さる。 |
昭和八年九月 | 吉田益三氏日刊呉日々新聞社々長に執任。 |
昭和八年十二月二十五日 | 関西方面に於ける神兵隊事件捜査に関し、吉田益三氏等当局に召喚され、東京地方検事局、市島検事の取調べを受けたが、二十八日夕、検束をとかれ釈放。 |
昭和九年一月 | 神兵隊事件後の党再建に関し、新陣容発表 最高議決機関として党務委員会を置き、関東、関西両本部を統轄。 |
○新役員 | |
・総裁 | 内田 良平 |
・顧問 | 頭山 満 |
・党務委員長 | 吉田 益三 |
・党務委員 ・・・ | 八幌博堂、平館信夫、山本千一、柴山満 |
・総務(諮問機関) ・・・ | 葛生能久、小幡虎太郎、松田踊輔、池田弘、立花良介 |
・党務局相談役 | 斉地磐夫、坂井六輔、以下略 |
昭和九年二月十日 | アジア民族会議準備委員会於て大連市大和ホテルに出席のため吉田益三氏、徳田宗一郎、小部英男、柴山満、奥村義雄氏一行五名。 |
△午後二時より小委員会開催各 参加国別に室を別し、各国代表提出議案の検討審議を行う。 |
|
日本側代表二十名、 | |
座長 | 伊藤武雄氏 |
午後六時半、各代表懇親会 | |
百五十余名娩餐を共にし、全有色民族の友情を温むる歴史的催し。 | |
日本側代表吉田益三挨拶 | |
二月十一日午前十時 | 本会議第一日目 |
準備委員会本会議出席代表四十四名、オブザ・バ・七十余名、事務局員十五名若席 | |
一、石原霊高事務総長の 閉会の挨拶 |
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二、祝電、祝詞披露 | |
三、会長推薦 | |
満州国代表 | 飽観澄氏就任 |
顧問 | 十河 信一氏就任 |
議長 | (主催満鉄代表)伊藤 武雄氏 |
副議長 | (日本側代表) 吉田 益三氏 |
副議長 | (中国代表) 張 錦樹氏 |
副議長 | (印度代表) サ ハイ氏 |
副議長 | (満州代表) 呂 作新氏 |
一、宣誓 | |
一、議事 | |
①会対策委員会開催 | |
②議案研究審議委員会開催(午後五時閉会) | |
午後六時半より大連市主催の各国代表歓迎会が大和ホテルにて開催される。 | |
二月十二日 | 本会議第二日目 |
会議終了後、午後六時半より大連協和会館に於てアジア民族大会記念大講演会開催。 | |
昭和九年二月二十一日 | 大阪中之島公会堂に於て「アジア民族団結促進大会並大演説会」を開催。大会出席者は、吉田代表を始めインド、シヤム、中国、安南、満州等の各代表。 |
昭和九年四月三日 | 大阪中之島公園に於て第2回愛国勤労祭を挙行。 |
昭和九年四月十二日 | 内鮮融和「相和会」の総裁に就任。 |
昭和九年九月二十日 | 関西地方風水害に対し「対策委員会」を設置、躍災民の救援と復興に尽力 |
昭和九年九月十二日 | 東京日刊千代田通信社々長就任。 |
昭和十年三月 | 日刊大阪中央新聞社々長に就任。 |
昭和十年十一月七日 | 大阪中央公会堂に於てエチオピア救援大演説会開催 |
昭和十一年四月二十四日 | 赤色メーデーの撲滅を期し、内務省に進言書を提出。 |
昭和十一年五月二十九日 | 全日本愛国政党合同促進懇談会開催。於大阪中央公会堂。出席団体四十ケ団体、議長吉田話三氏 |
昭和十一年七月 | 愛国団体合同促進目的の「二月会」結成。 |
昭和十一年十月二十四日 | 東京三会堂に於て、新日本閑民同盟錦旗青年隊、愛国政治同盟維新青年隊、大日本生産党青年部の三前衛団体を中心として「純正維新共同青年隊準備会」結成。 |
昭和十一年十一月二十五日 | 日本郵船の不敬事件を糾弾 |
遷、海、内相に不逼海員組合の即時解散を要請す。 | |
昭和十二年二月十一日 | 「純正維新共同青年隊結成大会」於て東京青山会館。 |
昭和十二年二月二十八日 | 日本郵船明朗会争議勃発。 |
昭和十二年三月二日 | 日本郵船明朗会支援を決議し、郵船不敬問題に対する声明を発表。 |
昭和十二年四月五日 | 「日ソ国交断絶すべし」の声明発表。 |
昭和十二年五月 | 生産党組織機構の大改革断行。 |
・総裁 | 内田 良平 |
・顧問 | 頭山 満、羽生能久、小林順一郎 |
・総務委員長 | 吉田益三 以下略 |
昭和十二年六月一日 | 林内閣崩壊に際し、次期内閣の具備すべき具体的要件に関し声明を発受。 当時内田良平先生に入閣の交渉あるも、これを辞退す |
昭和十二年六月四日 | 近衛第一次内閣に対する声明を発表。 |
昭和十二年六月二十一日 | 純正維新共同青年隊発展的解散。 |
昭和十二年七月一日 | 対ソ国交断絶を当局に進言。 |
昭和十二年七月十二日 | 北支事変に対し進言並に声明を発表。 |
昭和十二年七月二十六日 | 総裁内田良平先生逝去。 |
昭和十二年七月三十一日 | 故内田先生の告別式於て青山斎場。 |
・祭儀委員長 | 頭山 満 |
・祭儀副委員長 | 葛生能久 |
昭和十二年八月三十日 | 青年部幹部松石一君不慮の死を遂げる。 |
昭和十二年九月二十五日 | 大阪軍人会館に於て故内問先生の慰霊祭と追悼会を執行。 |
昭和十二年九月三十日 | 士口問総務委只長全間代表者会議を前に「全党員に希望す」の一文を発表。 |
昭和十二年九月 | 全関西愛国詩吟総連盟会長に就任。 |
昭和十二年十月十日 | 全国代表幹部会を赤坂三会堂大誹堂において挙行。 |
○役員 | |
・議長 | 八幡博堂 |
・副議長 | 柴山満、小部英男 |
・司会者 | 山本干一、彰山正治 |
・書記長 | 鈴木善一 |
・書記 | 千葉友次郎、小杉賢二、村田等、小松崎重 |
◎顧問 | 頭山満、葛生能久、小林順一郎 |
◎委員長 | 吉田益三 以下略 |
昭和十二年十月二十三日 | 吉田総務委員長「傷痩病兵待遇改善」を当局に進言建日。 |
昭和十二年十一月十九日 | アジア民族大会を開催、於て大阪中央公会堂。 |
・参加 | アジア各悶の代表者 |
昭和十三年二月 | 著書「支那をどうする」を吉田委員長発刊。 |
昭和十三年七月二十三日 | 「ソ聯赤色帝国主義はアジアの敵、世界の敵」の見地から対ソ開戦を当局 に進言。 |
昭和十三年七月二十六日 | 故内田先生一年祭を多摩墓地に於て執行。 |
昭和十三年八月八日 | 著書「暴ソの魔手を払へ」を発表。 |
昭和十三年八月 | 傷病兵慰問家族の無料乗車輸送を当局に進言。 |
昭和十三年十一月二十二日 | 「日・英すでに戦いつゝあり」と題する九十頁に亘るパンフレット発行。 |
昭和十三年十二月八日 | 傷病兵家族優遇運動功を奏す。 |
昭和十四年一月四日 | 「ソ聯撃つベし」のリフレツトを発表。 |
昭和十四年二月四日 | 「反国体的選挙法の改正を求む」と題する声明書を発表。 |
昭和十四年三月十四日 | 議員法改正に関する声明書発表。 |
昭和十四年十月二十日 | 「内田先生を偲ぶ」を発刊。 |
昭和十四年十月二十五日 | 「経済維新管見」と題し経済革新に対する意見書を発表。 |
昭和十四年十月 | 「妄論親ソ親英を撃つ」の声明発表。 |
昭和十四年十一月九日 | 阿久津村事件殉党者慰霊祭を宇都宮市にて執行。 |
昭和十五年二月十二日 | 紀元節に賜りたる御詔舎を拝し、満天下に声明を発す。 |
昭和十五年三月二十二日 | 「主紀二千六百年記念国難突破大演説会」を吉田委員長統卒の下、全幹部を六班に編成し各地で開催。 |
昭和十五年四月二十二日 | 福岡市にて故内田先生の慰霊祭を執行。 |
昭和十五年六月二十六日 | 故内田先生三年祭、東京軍人会館に於て執行。 |
昭和十五年七月十八日 | 吉田委員長組問中の近衛公と会見、政策を進言す。 |
昭和十五年七月二十三日 | 近衛内閣に要請書を提出。 |
昭和十五年十一月二十六日 | 生産党第二代総裁に吉田益三氏を推戴。 |
昭和十五年十二月二日 | 本党青年隊、大和桓原神宮に於て結成。 |
昭和十七年六月二十八日 | 東条内閣の指令により大日本生産党解散を命じられる。 |
大日本生産党全国大会赤坂三会堂於て | |
○役員 | |
・総 裁 | 吉田益三 |
・議 長 | 柴山 満 |
・副議長 | 松井正光 |
・司会者 | 狩野 巌 |
・大会委員 | 影山正治、白井為雄、船生利重、狩野殿、柴山稿、小部英男、小動銀次郎、河上利治、山本干一、千葉友次郎、関根喜四郎、太田岩穂、永富以徳、手島剛毅、星井真澄 |
・大会書記 | 難波澄人、藤原正志、糸井弘 |
・議案説明 | 影山正治 |
・総務部 | 千葉友次郎、白井為雄、柴山満、河上利治以下略 |
同日生産党大会終了後大日本一新会創立大会を挙行。 | |
創立大会役員並に新役員 | |
大日本一新会創立大会役員 | |
昭和十七年六月二十八日 | 於赤坂三会堂 |
・総裁 | 吉田 益三 |
・司会者 | 小部英男 |
・議長 | 船生 利重 |
・副議長 | 河上 利治 |
・大会委員 | 小池銀次郎、影山正治、白井為雄、柴山満、狩野巌、小部英男、船生利重、千葉友次郎、太田岩穂、河上利治、星井真澄 |
・大会書記 | 難波澄人、沢田弥一郎、藤原正志、糸井弘 |
・信条発表 | 小池銀次郎 |
・声明発表 | 狩野巌 |
・会則発表 | 太田岩穏 |
・会旗、会章発表 | 河上利治 |
・哲朗読 | 登石清 |
・新役員及新分営発表 | 白井為雄 |
・議案説明 一号議案 | 柴山満 |
・議案説明 二号議案 | 高瀬道善 |
大日本一新会役員 | |
・顧 問 | 頭山 満 |
・総 裁 | 吉田 益三 |
・総務委員長 | 影山 正治 |
・総 務 | 船生利重、柴山満、小部英男、影山正治、狩野巌、白井為雄、河上利治、千葉友次郎、小池銀次郎、太田岩穂、星井真澄 |
・常任総務 | 船生利重、小部英男 |
・事務局長 | 千葉友次郎 |
・諸務部長 | (事務局長兼任) |
・組織部長 | 登石市 |
・宣伝部長 | 玉井・晥城 |
・西部辿絡部長 | 柴山満 |
・台湾連絡部長 | 小部英男 |
・全国青年隊長 | 河上利治 |
・同副隊長 | 星井真澄、長谷川幸男 |
・統制委員長 | 白井為雄 |
・名誉会員 | 小林順一郎、末永一三、梅津勘兵衛、池田弘、湯沢天真 会友多数 |
昭和十七年七月二十日 | 大日本一新会結成届出。内務行視笹第五九号ノイ二九 |
一、社名 | 思想ニ関スル結社 大日本一新会 |
一、主幹者氏名 | 吉田益三 |
右、言論出版、集会、 結社等臨時取締法ニ依ル結社申請ノ件許可ス |
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昭和十七年七月二十日 | 内務大臣 湯沢三千男 |
◎吉田益三氏、大東亜戦争終戦と共に追放政令に抵触して追放され厳重監視下に数年を経過。 | |
昭和二十七年五月 | ・追放解除、声明を発表。 |
○終戦後大日本生産党の党名を踏襲して河上利治民主唱の下結党。 | |
(尚、新生産党結党前後に関するいきさつは省略す) | |
一、吉田益三氏の関与せる団体(一部) | |
(イ)時局協議会(昭和十一年十二月十五日結成) | |
◎目的 | ―時局協議会は速に、皇道政治を確立し急迫せる時局に対処するため各府各部門に於ける全日本主義運動の連絡協調並に強化を以て目的とす。 |
◎役員 | 入江極窓、橋本欣五郎、長谷部照信、渡辺良三、吉田益三、高山久蔵、黒沢圭一郎、小林順一郎、江藤源九郎、赤崎寅蔵の諸氏をあげ客員に、一条実孝、五白木良三、井田盤楠、井上清純、堀口九万一、大山卯次郎、渡辺満太郎、建川美次、匝瑳胤次、内田良平、葛生能久、柳原義光、小林省三郎、安藤紀三郎、菊地武夫、三室戸敬光。 |
帥時事懇談会(昭和十二年十一月結成) | |
・重大なる時局に鑑み、各方面の人士相寄り、隔立なき懇談を遂げ、互に意志の疏通を図り、以て挙用奉公の実を挙ぐるを目的として結成された。 | |
◎役員 | 入江種矩、井田磐楠、井上治純、今井団法徳、井坂孝、八回嘉明、林毅陸、徳宮猪一郎、小原直、大橋八郎、大蔵公望、大河内正敏、大麻唯男、岡部長景、小倉正恒、渡辺汀、河原田稼吉、唐沢俊樹、横山助成、吉田益三、吉田茂、芳沢謙吉、田中都吉、頼母木桂吉、建川美次、津田信吾、村田省蔵、山川端夫、山崎達之助、前回米蔵、町田辰次郎、松野鶴平、深井英吾、藤原銀次郎、小林順一郎、後藤隆之助、後藤文夫、遠藤柳作、安保消極、阿部信行、有国八郎、荒木貞夫、仙川義介、酒井忠正、桜内幸雄、佐々本行忠、菊地武夫、湯沢三千男、三井市一郎、志賀直方、島田俊雄、森広蔵、末次信正、大井成元、竹下勇、牧田環、明石照男、白石元治郎 |
幹事 唐沢俊樹、有馬成甫 |